「愛」の反対は?と聞かれたら何と答えますか?
嫌うこと?憎むこと?虐待? そんなことよりも辛いこと。
「愛の反対は憎しみではない 無関心だ」
この言葉を聞いたことがあるかも知れません。
マザー・テレサ(カトリック教会の修道女)の言葉として紹介していることが度々あるのですが、よくよく調べて見たら、ホロコースト生還者であるエリ・ヴィーゼル(Elie Wiesel)という方の言葉だそうです。
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The opposite of love is not hate, it's indifference.
- Elie Wiesel(エリ・ヴィーゼル)
愛の反対は憎しみではない 無関心だ
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愛の対極にある行為は、困っている者に関わりを持たずに傍観者であること、無関心であることっていうことです。
「お前は冷たい奴だ!」というと「そんなことない」とあなたも反論するでしょう。
だけど、日々発生する様々な問題点(社会的な問題点・個人的な問題点)が、膨大な量あって、いちいち関心を持っていたら身が持ちません。(コレ本当!)
だから、どうしても「無関心」にならざる得なくなるんですよね。
つまり単純な話、無関心でいたくないけど、全てに関心を持っていたら時間が足りないから、自分と直接関係のあることしか関心が持てなくなる。
その結果、「愛」が足りなくなるんですよね。
そうすると、今度は、愛が足りなくなった人間は、犯罪など悪いことをする。
そうなると、また社会的な問題が増えて、結果的に、無関心でいた人の人生を蝕んで行く。
これを「愛のデフレ・スパイラル」と勝手に呼んでおります。
それじゃ、どうすれば良いの?ってことですよね。
もちろん、いろんなことに(自分なりに)関心を持って、全て対策を打てれば一番良いのですが、そんなことをしていたら、人生がいくつあっても足らないので、出来ることから始めましょう!
それはやっぱり手始めに「言葉」を意識して変えることですね。
例えば、「物流の2024年問題」とか、「団塊世代が後期高齢者となる2025年問題」とか、何でも「問題」と呼ぶことを避けましょう。
そこは「物流の人材不足を解決するために勝手に考えてあげました」とか「団塊世代が楽しく第二の人生を送る方法を勝手に考えてあげました」とかにするべきですよね。
あ、さすが私!
「勝手に考えてあげました」シリーズは、無関心をなくす愛を広める最高の手段だったのか!
そうです!みなさん、「勝手に考えてあげました」教に入会しませんか?
はい、この壺100万円で売ります!(コラ!)
今回の珍言爆言
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無関心の反対は勝手に考えてあげること
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