今のこの時期に「戦争OK」とか言うと、問題発言だと言われて吊し上げられるんだろうなぁ。
女王様、私を吊るし上げて、縛って、あぁぁ!
(あ、違いますね。いきなりくだらないエロネタでスミマセン。)
”力による現状変更”、いわゆる「戦争」が多くの市民を不幸にさせることは紛れもない事実ですが、いくら「戦争反対」とスローガンを掲げても、どうしても人類は戦争を止められないんですよね。
それこそ、人類が発生してから争いごとは永遠と続いてきたし、暴力も続いてきたし、それを止めようとする動きもありました。
「戦争反対」のアピール方法も、多種多様なものが出来て、それなりに効果はあったと思います。
「世界は一つ、人類みな兄弟」的な発想も生まれましたし、それこそ宗教や哲学が深化することによって、第二次世界大戦以降は、世界中を巻き込むような戦争は、今の所抑える事が出来ています。
けど、わずかでも「力による現状変更(防御も含めて)」を目論む人が国を運営する立場につくと、その平和だった秩序が一気に崩れることも分かりました。(ロシアによるウクライナ侵略のように)
なので、どうしたら良いのか?と勝手に考えてあげたんです。(はい、今回は「勝手に考えてあげたシリーズ」戦争論です。)
「戦争」の対義語は?と聞かれたら、何と答えますか?
そう、「平和」じゃないですね。
「平和」の対義語は、「混沌(な状態)」とか「無秩序」です。
「戦争」の対義語は、「対話」。
「戦争」というのは、武力による国同士の交渉手段(外交交渉)の一つです。(少なくとも、当然のようにそう考えている人がいるのは事実です。)
国と国に揉め事があった時は、基本対話から始まりますが、その交渉がどうしようもなくなった時は、武力交渉(戦争)になります。
国際法では、一般の市民を傷つけたらいけない事になっています。
けど、全然この約束事は守られなくなってきています。
有名なピカソの絵で描かれている「ゲルニカ」は、スペイン市民戦争に介入したナチスドイツやイタリア軍が、スペインのゲルニカ地方を無差別爆撃しましたが、これは「戦争」というより「虐殺」で、明確な国際法違反です。(もちろん、広島、長崎への原爆投下も然り)
このゲルニカの無差別爆撃以降、軍人ではない一般の市民を傷つけても、それが何となく「普通」になったというか、「戦争」の日常になってしまった。
外交手段の一つである戦争をした両国の国民は、「いくら殺したり傷つけられても、文句いうなよ!」って感じになってます。
何度も言いますが、これは明らかな国際法違反で、「虐殺」行為です。
なので私は、戦争(による外交交渉)は仕方ないけど、虐殺は何があってもダメだと言いたいんです。
いや、もう少し正確に言うと、戦争(による外交交渉)も良くないんですが、やるなら厳格なルールに基づいてやって、ましてや虐殺は言語道断だと言いたいんです。
まず戦争のやり方を、絶対に一般の市民が傷つかないような方法を確立しないといけない。
例えば、軍事施設への攻撃は認めるが、その為の施設はダメだとか。
攻撃を認められた施設の周りには民間人は住まないとか。
仮に民間人を傷つけるようなことがあった場合は、攻撃した側の責任者は切腹をして恥を詫びなければいけないとか。
軍事同盟を組んでいる国の責任者も、同様の責任が生じるとか。(軍事同盟を多く組んでいる国はそれだけ責任重大です。)
核兵器の所持はどの国についても認めるが、使用は虐殺行為の当たるので、使用した国全員で恥を詫びなければいけないとか。
つまり、「戦争」のルールをもっと厳格にして、ルール違反をした場合の責任の取り方は、「切腹」一択にする。
そう考えたら、日本の戦国時代みたいやなぁ。
今の時代こそ、日本の「武士道」が求められているのかもしれません。
プーチン大統領は柔道家なので、「武士道」は理解してもらえるよね!
(彼のような力の信奉者には無理?)
逆に日本の政治家は、切腹できるくらいの覚悟を持った人がいないのかも知れません。(泣)
けどけどですね。どんなにルールを厳格にしても、それを破る人が権力を持つと、やっぱり傷つくのは一般市民なんですよね。(冒頭へ戻る)
今回の珍言爆言
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「戦争反対」と訴えても戦争はなくならない事実からどうしたら良いのか考えよう!
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