先日「年賀状マウント」という言葉が、一時的にTwitterで話題になった(そうです。)
そもそもこの「話題になった」ということ自体も、とあるテレビ番組が仕掛けたような感じもするのですが、それはそれとして結構深い問題があるなぁと思って見ておりました。
このテレビ番組によれば、「年賀状マウント」とは、年賀状での近況報告として自分の優位な点を自慢する行為とのこと。
つまり、年賀状で(やや意図的に)自慢することを書いて、受け取る相手に不快感を与えることで、自己満足するということでしょうか。
例えば、海外旅行をした時の写真、子どもを敷き詰めた写真、子供が優秀な大学に入学したことが分かる写真などを送って、自慢して相手を見下して喜ぶということ。(だそうです。)
まぁ、私がそのような年賀状を受け取っても、私自身の生活が充実していて、日々がめちゃくちゃ幸せなので、全くマウントされたとは思わないのですが、中には「うぇ、なんじゃこの圧力は?」と感じる人もいるのでしょう。
海外旅行ができない貧乏な人とか、子供が欲しいけど出来ない夫婦とか、子供がバカで受験に失敗した家族にとっては、写真を見たくないのかも知れません。
自分の生活がどれだけ惨めだったしても、他人が幸せなら「良かったですね」で完結、みんなハッピー!なんですけどね。
子供の頃から、「自分の嫌なことを他人にしてはいけません。」と教えられてきた人も多いかと思います。
まさに、それこそが「幸せに生きる原則」なのであって、成功したビジネスでも、良好な人間関係でも、他人が喜ぶことをした結果、成り立っているわけです。
しかし、「年賀状マウント」と言われるような写真を送る人というのは、ひょっとしたら純粋に「幸せのおすそ分け」をしようとしているのかも知れません。
全く悪気なく、自慢するつもりもなく、今年あった出来事で一番幸せだったことを年賀状にしたためて、他人と幸せを分かち合うことによって、幸せの連鎖をつなげようとしただけなのかも。
これまた、幸せのおすそ分けというのも、「幸せに生きる原則」です。
「今年はどれだけ幸せに生きられたか?」と日々考えながら行動することは大切ですし、それを披露することも大事。
この「年賀状マウント」のネタで考えさせられた点は、そもそも「自分が嫌なこと」と「他人が嫌がること」、あるいは「自分が良いと思うこと」と「他人が良いと思うこと」というのはイコールではないということなんです。
この点では、私もたくさん失敗をしてきました。
自分では普通と思っていたけど、友人を怒らせてしまった。
という経験は誰でもあることでしょう。
では、年賀状には何を書くべきなのでしょうか?
他人が嫌がることは分からないのに、避けなくてはいけない、けど、幸せのおすそ分けをすることも案外大切。
そこで私が考えたのは、年賀状の文面は普通の挨拶のみにして、その前の年にあった幸せな出来事の写真は、ウェブ上に公開して、URLを載せる。
年賀状には、「あけましておめでとうございます。昨年あった我が家のハッピーな出来事はここをクリック↓」として、QRコードを貼り付けておくんです。
それを見たいという人はアクセスして見れば良いですし、見たくない人は、年賀状の文面だけ見て終わり。
そうすれば、「年賀状マウント」もなくなるのではないでしょうか?
とか考えて調べていたら、そういうサービスはすでにあるみたいです!(笑)
それはそうと、私が一番嫌なのは、毎年印刷だけの年賀状が届いていた人が、(喪中など)何の連絡もなく、突然年賀状が届かなくなることですね。
何かあったのか?とめちゃくちゃ気になるんです。
そう考えたら、年に一回くらいは、何らかの連絡はしてもバチは当たらないですし、どんな連絡でも頂いたことに感謝したいものです。
今回の珍言爆言
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幸せのおすそ分けをし合える豊かな人間関係こそが本当の幸せ
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