なんかふと口から「先生に告げ口する唄」が出てきたんです。
子供の時に唄っていた唄。
「いーやや、いやや、先生に言うたろ・・・」
これ関西弁だよなぁ?と思って、ネットで調べて見たら、この唄、地方によってかなり特徴があるそうです。
あなたの地域は、どのパターンですか?
そんなことよりも、この「先生に言って何とかしてもらおう」という姿勢が良くないよな、とふと感じたのです。
まぁ、子供が歌う唄ですから、その当時の一番身近にいる大人、しかもある程度権力があり、正義があり、子供全員の共通して知っている人ですから、「先生に言って、正しく判断してもらおう」というのは間違えてないと思います。
けど、この「先生に言ってやろうの論理」を大人になっても引きずってないか?
と、ここまで書いてきて、何で「先生に告げ口する唄」が出てきたのか?今、思い出しました!!
あるテレビの番組で街がどでインタビューしているのがあって、そこで一般の人たちがインタビューに答えていました。
具体的な質問と答えの内容は覚えていないのですが、「あなたは異なる意見に対してどう対処するか?」みたいな質問だったと思います。
その回答に「それは裁判所に訴えて解決すれば良い」とか「それは私の考えと違うから(社会から)干されても良い。(徹底的に攻撃する)」という内容がありました。
もちろん、テレビのインタビューなので、恣意的にテレビ映えしそうな意見を切り取って放映されたのでしょうが、そこに何となく違和感を持った訳です。
何かね、自分の考えは100%正しくて(自分の「考え」というものが存在するとして)が、それがちょっとでも違うと、権力のある所(裁判・マスコミ・大衆社会)に訴えて、相手を潰してしまう世の中になっているのではないかな?と・・・。
冒頭の「先生に告げ口する唄」みたいに、権力側にチクることで、正しさを強調するみたいな感じですね。
まだ、子供の時は、「先生に言うたろ」で良いのかも知れませんが、大人になったのだから、それはちょっとよろしくないのでは?・・・と。
相手の意見をしっかり聞いて、納得できない部分があれば、どうしてそういう考え方になったのか?きちんと説明を受けて、それを聞く。
それでどうしても合意点が得られないのであれば、裁判などのシステムを利用するのは良いと思いますが、いきなりキレて逆上するのは良くありませんね。
そんなことを、「先生に告げ口する唄」を思い出して考えてしまいました。
「先生に言うたろ」と唄ってましたが、先生に言ってどうして欲しかったのか?
悪いことをしていた友達を先生という権力にチクって、先生に怒られる友達を見たかっただけでは無かったのか?
もし、本当に友達の悪さを直してあげたいのであれば、先生にチクる前に、その友達に説明して納得してもらうべきでは無かったのか?
まぁ、子供のケンカですから、「先生に言うたろ」で良いんですが・・・大人になっても同じ思考回路になってないか?と考えさせられた訳です。
自分と異なる意見を聞くって、腹が立つときもありますが、そこに成長できるヒントが隠されていることもあります。
腹が立つってことは、自分の弱点を正しく指摘されている場合に多いものです。
先生(権力)にチクることで、自己満足したり、嫌な指摘を回避するのではなく、自分の成長にどのように役立たせることができるのか?
ちょっとだけ理性的に考える瞬間も必要ではないでしょうか?
だけどね、今じゃ、先生にチクって、先生では解決できない問題が多いですから・・・・本当に困った世の中です。
今回の珍言爆言
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あなたの正しさは、そんなに大したものではない。
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