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【コラム】キラキラネームの問題はキラキラしていない本質の話

キラキラネームの問題はキラキラしていない本質の話

うちの近所の子供達と今でもたまに遊ぶのですが、その中に変わった名前の子供達がいるんです。

 

 

その男の子は、小学生の兄弟で、お兄ちゃんが「るひ」で弟が「るき」です。

(「ルフィ」じゃないんです。)

 

 

「どんな(漢)字書くの?」と聞いても、答えられないので、正確な本名は知りません。

 

 

彼らの名前が、いわゆるキラキラネームとかDQNネームなのかと聞かれると微妙ですが、今回のテーマは「キラキラネーム」について少し掘り下げてみたいと思います。

 

キラキラネームの問題はキラキラしていない本質の話

と言うのも、先日、政府の法制審議会が、個性的な名前の表記や読み方が多様化する中、読みがなをどの程度まで自由に認めるかが議論され、ルールづくりをしているとのニュースがありました。

 

 

これのニュースを見て、問題の本質がズレているなぁと感じたので、考えてみようと思ったんです。

 

参照:

www3.nhk.or.jp

 

ここで、現在検討されている案は、次のようになっています。

 

1)

戸籍法には規定を設けず、権利の乱用や公序良俗に反するケースを除いて認めるというもの。

(基本なんでもアリというスタンスですね。)

 

2)

音読みや訓読みができたり、慣用で読めたりするか、あるいは、漢字の意味との関連があれば認める案。

(漢字として読めるものならOKという事。)

 

3)

音読みや訓読みができたり、慣用で読めたりするか。

あるいは、それができなくても、正当な理由があれば認めるというものです。

(1と2の中間。ゴリ押ししたら、何でもOKという事でしょうか。)

 

 

法務省の担当者によると、「大空」「すかい」「騎士」「ないと」「海」「まりん」と読むのは、漢字の意味との関連があるので認められるだろうということです。

 

 

逆に、「一郎」と書いて「たろう」と読ませたり、「高」と書いて「ひくし」と読ませるのは、ダメになるだろうとのです。

 

 

これを読んで、頭痛が痛くなってきたのは、私というmeだけでしょうか?

 

 

「こりゃ、全く、分かっとらんわ!」という事ですね。

 

 

絶対に読めないキラキラネームのような極端な例は論外扱いで良いかと・・・「まぁ、親がちょっとオツムが弱くて残念でしたね」レベルですよね。

 

 

そういう極端な例じゃなくて、普通に読みにくい、微妙に読みにくい、どう書いたら良いのか分からない名前が多くある方が問題なのかと思うんです。

 

 

例えば、男の子の名前で人気の「はると」というのがありますが、書き方の例として、「大翔」「陽翔」「晴翔」「陽斗」「遥斗」「悠人」「晴空」「羽琉斗」「遼翔」「温人」「遥都」etc・・・と多くの書き方が存在しています。

 

 

このように、音の意味と表記する文字が一致しないことが問題なんです。

 

キラキラネームの問題はキラキラしていない本質の話

親や親戚が新しく命を授かった子供に名前をつけるのは、何かの想い(個性的であって欲しいとか、みんなに親しまれて欲しいとか)があったからでしょう。

 

 

どんな名前にするかは基本自由です。

 

 

ただ、それは日本語としての特徴を前提にしておいた方が良いでしょう。

 

 

ことわざに「名は体を表す」と言うのがあります。

 

 

「名前はその物や人の性質や実体をよく表すものだということ」という事で、付けた名前(の意味)のような人物になるという意味です。

 

 

それは赤ちゃんの時から、その名前を繰り返し呼ばれるので、自然とその名前の意味(音・字)を人は吸収していくからだと思います。

 

 

言葉には魂が宿ると考えられる「言霊思想」にも通ずるものがあるのでしょう。

 

 

まずは、名前の音の意味、次に名前としての意味、そしてその名前の字(多くは漢字)の意味の順に影響すると考えられます。

 

 

例えば、「太郎(たろう)」であれば、「た」「ろ」「う」それぞれの音が持つ意味(古語に関係する)、次に「たろう」という音の集まりの意味、最後に「太郎」という漢字が持つ意味(太郎の場合、”豊かで優れている”という意味)です。

 

キラキラネームの問題はキラキラしていない本質の話

この3つの「意味」が、相乗的に強ければ、より”良い名前”として子供の良い影響を与えるはずです。

 

 

という私の理論からすると、「大翔」と書いて「はると」と読ませる事で、意味の矛盾が生じて、言霊のパワーが分散してしまう。(「だいしょう」と呼びならまだしも・・・)

 

 

「名は体を表す」という考え方からすると、矛盾した精神・人格の持ち主になりかねない危険性があるという事です。

 

 

それを防ぐには、子供の時から、親が名前の意味や漢字の意味、名前をつけた理由などを、繰り返し子供に理解させて、音と字の矛盾を超えるような「愛情」を伝えられれば良いのですが・・・。

 

 

そう考えると、昔からのある意味無難な名前の方が、言霊としては強力な名前なのかも知れません。

 

 

ということで、今回の結論ですが、政府の法制審議会さん、もしルールを決めるのであれば、ただ一つ「当て字を使わない」だけで良いのかと思います。

 

 

むしろ国民に知らすべき内容は、「文字のルール」ではなくて、「言霊の意味」なのではないでしょうか?

 

 

光宙(ピカチュウ)くんや、美気意(ミッキー)くん、今鹿(ナウシカ)ちゃんのその後の人生がどうなったのか、追跡調査して知らす方が良いのかも知れませんね。

 

 

今回の珍言爆言

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

音にも字にも意味がある日本語の特徴を活かそう!

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

imakokowoikiru.hatenablog.com

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