先日のトピックで、「キラキラネーム」について取り上げたのですが、すみません!! もう少し深く掘り下げさせてください!
政府の法制審議会が、個性的な名前の表記や読み方が多様化する中、読みがなをどの程度まで自由に認めるかが議論されルールづくりをしているとのニュースがあったことがきっかけで、私なりの意見を述べました。
私の結論として、ルールを決めるのであれば、「当て字を使わない」ことが良いのでは?と提案しました。
しかし、あの後この「キラキラネーム」の問題について深掘りをしてみて、私の考えが浅かった部分があったので、今回はその補足をさせて頂きたいと思います。
まず、キラキラネームにならないように「当て字を使わないこと」としたのですが、これは無理というか、日本人の名前の特徴を調べてみると、適切な案ではないと分かったんです。
日本語は、中国語の文字だった意味を表す「漢字」と、言霊を震わす「やまとことば」とがミックスして融合することによって醸造されてきた言語です。
なので、漢字の音読み、訓読み、あるいはその一部分の音を切り出して、名前に引用している(つまり「当て字」にして無理読みしている)例は、枚挙にいとまがありません。
歴史上の人物の名前を確認してみても、無理読みしている名前がかなりあります。
例えば、鎌倉幕府を開いた「源頼朝」の読み方は、「たよあさ」ではなくて「よりとも」とされています。
もっと言えば、その「頼朝」も「よりとも」と呼ばれていたのではなく、ひょっとしたら「らいちょう」だったのかも知れないのです。
昔は、実名を他人から呼ばれると、名前の持つ神秘的な呪術性が失われてしまうとも考えられていました。
なので、実名と言われる名前は、その人が死んでから付けられた忌み名(諱)で、生前はその名前で呼ばれていなかったそうなんです。
つまり、昔の日本人の名前というのは、今の感覚と全然違うという事です。
その感覚に大きな変化が生じたのが、明治時代に入って戸籍法を作り管理することにより、全ての国民が苗字と氏名を持つようになって、それまでの習慣をやめた時。
その次に起こった変化が、大東亜戦争が終わり、西洋の文化が優れている誤って認識し、漢文など東洋の文化は劣っていると取り違えた時。
漢字の意味よりも、名前の音の響きを重視する風潮が強くなってきた結果が、今の「キラキラネーム」現象に繋がっているんです。
言い換えれば、「意味」と「音」を表現していた日本における「漢字」という表現媒体が、音の響きを表す「記号」になっている過渡期が現在と言えるのかも知れません。
これは、日本語が分断されてしまった現在では、ある程度は仕方ない。
歴史的仮名遣いを使った日本語の文章は、現在日本人では「別の言語」のように読み難い。
本来は、歴史的仮名遣いを問題なく理解できるようにすべきなのかも知れませんが、歴史は巻き戻せないので、今回はそのテーマには踏み込みません。(また別の機会に)
しかし、忘れてはならないのは、名前というのは、この世で一番短い呪だったという日本人が培ってきた言霊思想があったという事です。
さて、ここからは、以上のことを掘り下げて考えてみた私からの提案です。
今から昔みたいに、幼少期は「幼名」で読んだり、元服をしたら「実名」を付けたり、出身がわかるような氏(うじ)を付けたりするようなシステム変更は出来ないと思います。
なので、成人になる時(18歳)に、自分の名前を最終的に決定することにしたらどうでしょうか?
そうすれば、たとえ(親の自己満足や勘違いによる)「キラキラネーム」を付けられた子供でも、日本語の歴史や文化などを学び、自分がどのような人間か理解を深めて成人になる時に、自分で名前を決定するのであれば、名前という呪の束縛から逃れられるのではないかと思います。
法制審部会が検討している戸籍にフリガナをつける改正では、キラキラネームの問題の本質的な解決にはならない。
むしろフリガナは明記せず漢字のみの表記のままにしておき、何と読むのか分からないようにしておく方が、本来の名前の役割に沿っているのかと思います。
個人を識別するために、フリガナを付けることでルールを厳格化しようと思っているのであれば、マイナンバーカードとの紐付けで解決しますからね。
という事で、最終結論。
「キラキラネーム」でも何でもいいけど、本人が成人する時に名前を決定する機会を与える仕組みを作るのが良いと私は考えます。
参考図書:
今回の珍言爆言
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名前は親が子供に与える呪縛だということを親は認識しよう
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