8月がやってくると、「戦争」のことを取り扱った報道が増えてきます。
忘れないように毎年取り扱うことは大事なのですが、どうして人(犠牲者)に焦点を当てた内容ばかりなんだろう?と思うんです。
もちろん、人に焦点を当て、ストーリー(物語)性で訴えることは、感情には響くかも知れませんが、毎年繰り返す「反省」としては効果がだんだん薄れてくると思いませんか?
改めて言うまでも無いですが、命をかけて戦った兵隊さんたちや、空襲という虐殺に巻き込まれ犠牲になった一般庶民、苦労しながらも戦後を生き抜いた我々の先祖には、敬意を払うしかありません。
けど、もし本当に「日本が侵略戦争をしない」「日本だけ戦争という外交手段は使わない」「世界中から核兵器をなくす」「世界中が戦争をしない」「他の国はどうなっても良いから日本だけは軍隊を持たずに今の平和を満喫したい」と願うのであれば、(1)まず目標を明確にして、(2)その目標を達成するための仕組みを構築し、(3)ルール通りに仕組みを遂行する、しかありません。
あれ、気づきました?
一言に「平和を願う」といっても、その目標設定ですら、百人百様なんですよね。
恐らく、今の日本で「平和を願う」と言った場合、「世界中が戦争をしない」ではなく「他の国はどうなっても良いから日本だけは軍隊を持たずに今の平和を満喫したい」なのかも知れません。
そして、「そりゃ無理やで、日本さん。あんたさんは、アメリカの一部やから争いを避けてるだけやけど、アメリカが弱くなったら、攻めて行きまっせ!」というのが近隣諸国の腹の内でしょう。
さて、ここまでは"世界の常識。日本の非常識”。
日本の報道にある「人(犠牲者)に焦点を当てた」内容を繰り返すことは、実に「冷たい日本人」を表しているのではと思うんです。
戦争のことも、災害のことも、大事故のことも、感染症のことも、犠牲者のことがピックアップされます。
「あら、かわいそうにね。ああならないように気をつけないようにしないとね。」
はい、その後は?
忘れて終わりになっていませんか?
み~んな忘れて、水に流していませんか?
どのように社会全体で対策をして、それがどういう結果に繋がったのか、検証しているのでしょうか?
次に同じような事態になった時に、被害を最小限に止めることができるのか?
戦争の夏にすべきことは、我々の行動パターンが、我々の子供(子孫)を幸せにするのかを考えることなのではないでしょうか?
今回の珍言爆言
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なんでみんながそうするのか?が本当の反省
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