8月6日は、広島に原爆が投下された日です。
広島平和記念資料館にある原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)には、次のような碑文が刻まれています。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
しばしば、このメッセージの主語は誰を指すのか?と議論になります。
広島に原爆が落とされて被害者は、広島市民(日本国民)なのに、まるで日本が「過ち」を犯したかのように汲み取れるのはおかしいのではないか?というような主張です。
アメリカ人は、「原爆投下は終戦を早める効果があり正当なものだ。」と考えているとよく言われます。
これに対して、広島市の公式見解としては、「碑文の中の「過ち」とは、一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用を指しています。」と答えています。
また、この碑文を作成した広島大学の雑賀忠義教授(当時)によると、この碑文の主語は「日本人も含めて全人類が誓う言葉だ」ということです。
私の個人的な意見ですが、戦争という外交(交渉)手段は将来的にもなくならないし、広島・長崎への原爆投下は(都市への無差別爆撃も含む)戦争ではなく虐殺なので、「過ち」をしたのは米軍であると思っています。
以上のことを咀嚼した上で、今回私が指摘したいのは、碑文の主語の問題よりも、あの原爆投下がなくても当時の日本人は講和交渉をして終戦ができたのだろうか?ということです。
しかし、もし私が昭和20年(1945年)にタイムスリップをしたとして、当時の日本人に、「すぐにポツダム宣言を受け入れ、講和交渉に持ち込まないと、原爆を投下され何十万もの日本人が犠牲になる。」と伝えて歴史を変えることが出来るのか?
あるいは、「アメリカは原爆投下という大量虐殺を日本本土にしてくるが、我々は本土決戦一億総玉砕で迎え撃ち、ほぼ壊滅になっても諦めないこと。そうしないと戦後、日本人は大和魂を抜き取られて、空虚な民族に落ちぶれてしまう。」と伝えて、別の歴史を歩むことが出来るのか?
歴史に”if”はありませんが、例え私が当時の政治家だったとしても、どちらの方向に導く自信はありません。
当時の日本人にも強烈な「同調圧力」があったと簡単に想像できるからです。
なぜあんなアホな選択をしたのか?と思えることでも、その時代の「空気」が影響しているのは確実です。
どれくらい日本人だから同調圧力が強烈なのか、時代背景によって「圧力」の度合いが違うのか、数値化して計測する方法はありませんが、今でも日本に存在する「同調圧力」というもの。
「過ちは繰返しませぬから」の「過ち」とは、同調圧力の元に発生した悪魔のようなものなのかも知れません。
今回の珍言爆言
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歴史は同調圧力に歪められる
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