「言葉こそ人生」読むだけ元気お届け人の"今ここを生きる心"の裏側

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【コラム】知らぬまま仏になる前に、リスクを理解して成長しよう!

知らぬが仏と遮断することが、一番「仏」から遠ざける。

私もまぁ言ってみれば、かなりの「頑固ジジイ」の部類かと思うのですが、できるだけ「思い込み」で判断しないようには気をつけています。

 

 

一度身についてしまった「思い込み」や「常識」は、なかなか取り除くことは難しい。

 

  

というのは、「思い込み」や(間違った)「常識」を否定するには、何らか「気づき」つまり「新発見」をしないといけないからです。

 

  

そして、何か「気づき」を得るということは、それまでの「無知」だったことを認めることになります。

 

 

「いやぁ、また一つ、賢くなったわ。ラッキー!」

 

 

はい、全く間違えてないですよね。

 

 

自分を成長させるために、何かの行動をして、新たな知識や気づきを得て、それまでの無知を認識することで、新しい視点が得られる。

 

  

はい、とても素晴らしいことだと思います。

 

知らぬが仏と遮断することが、一番「仏」から遠ざける。

 

それでは、もしこれまでの無知な状態の自分がしてきたことが、とんでもなく誰かを不幸にしていたとしたら?

 

 

例えば、自分が良いと思っていて他人の紹介していた商品が、実はかなり健康に良くなかったり、むしろ不幸にすることが後から分かった。

 

  

しかも、他人から言われたのではなく、自ら学んでいたら、自らの間違いに気づいた。(OMG!

 

 

こういう場合は、どう捉えたら良いのでしょう?

 

 

やはり「知らぬが仏」なのでしょうか?

(「知らぬが仏」=知れば腹が立ったり悩んだりするようなことでも、知らなければ平静な心でいられるということの例。)

 

 

事実を見ようとせずに、一生知らない方が良いのか?

 

 

つまり、成長もせず、前進もせず、気づきも得ず、学びもせず、新しいことを知らずに、自分が絶対的に正しいと思いこみながら、死ぬ方が良い?

 

 

まぁ、そう決めて、それをまっとうできる人は、その方が幸せなのかも知れません。

 

 

ただ、大半の人間は、そんな偏見だらけの偏屈な仙人にはなれません。

 

 

日々、何処かしらか情報が入って来て、日々、気づいているはずです。

 

 

そうすれば、「気づき」を得られるチャンスがある(=成長できる)とともに、自分の過ちに気づかされる機会もあります。

 

 

もし、何かのきっかけで、自分がおかした重大な過ち気づいてしまったら?

 

 

やはりそこから、何を学び、どう反省すべきか、悩み考え行動することが、本当の「成長」なのでは?と思うんです。

 

 

過去の行動(過ちも含めて)を、全て受け入れる覚悟とリスクを意識して、それでもまだまだ気づいていない「新発見」を探す旅を続けたいものです。

 

知らぬが仏と遮断することが、一番「仏」から遠ざける。

 

今回の珍言爆言

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知らぬが仏と遮断することが、一番「仏」から遠ざける。

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imakokowoikiru.hatenablog.com

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