百田尚樹先生の小説「フォルトゥナの瞳」を実写化した作品。
人の死が透けて見えてしまう「フォルトゥナの瞳」を持つ青年木山慎一郎(神木隆之介)が、桐生葵(有村架純)の運命を変えたことから恋人になるが・・・という話。
他人の死が見えるようになったら、その人を救うことによって自分の寿命が縮まってもその人を救うか?それとも、その人を見殺しにするか?という「選択」がテーマになっています。
小説版から色々と改変されていますが、尺の問題もあるので、概ねは納得できました。
けど、一番納得が出来なかったのは、最後、事故が発生する電車にヒロインの葵が乗車する点です。
葵が乗車することによって、慎一郎は電車事故を防ぐために自分の命を捨てても止めざるを得ません。
つまり、重要なテーマである「選択」を放置して、安っぽい「恋愛」モノになってしまうんです。
それに葵も「フォルトゥナの瞳」を持っていたというオチでしょ。
じゃ何で、葵は電車を止めて慎一郎を救おうとしなかったのだ?
小説版は、慎一郎の誠実さ(電車を止めたのは精神異常者ではないということ)を証明する為に、葵も「フォルトゥナの瞳」を持っていたというオチをねじ込んだ感じがしたのですが・・・。
映画版を鑑賞して、さらに「オチ」の真意が掴めなくなってしまいました。
↓応援クリックして頂けると励みになります。ありがとうございます。↓
↓はてなIDがなくても拍手して頂けます!コメントもOKです。↓