最近、神社巡り(パワースポット巡り)にハマっておりまして、実家の枚方市近辺の神社・仏閣巡りをしております。
今回は、楠葉にある「交野天神社」に参拝に行ってまいりました。
ここも由緒のある神社で、色々調べたら、とても歴史的に重要な場所だということが分かりました。
目次
由緒
交野天神社(かたのてんじんしゃ)は、第50代桓武天皇が延暦6年(787年)に、第49代光仁天皇を祀るための郊祀壇を設けたのが由来とのこと。(『続日本紀』及び『岩清水神宮 縁起』による)
桓武天皇といえば、奈良から長岡京、そして平安京に遷都した天皇ですね。(ちなみに京都の平安神宮は、桓武天皇が御祭神です。)
御祭神
主祭神は、
光仁天皇(こうにんてんのう)
天兒屋根命・天児屋命(あめのこやねのみこと)
菅原道眞(すがわらのみちざね)
です。
樟葉宮跡
本殿の北東の少し奥まったところに貴船神社の末社がありますが、この場所が継体天皇の「樟葉宮跡」と伝えられている場所です。
ここは、第26代継体天皇が即位後、一時的に宮(皇居)を置いたとされている場所です。(日本書紀には記述があるが、古事記にはその記述が載っていません。)
樟葉宮跡の由来を知れば皇位継承問題は解決する?
第25代武烈天皇が崩御された時、次の天皇の皇位継承者が決まっていませんでした。
「お〜い、次の天皇どうしよう?」とスタッフ(今でいう宮内庁の職員?)は焦ったと思います。
そこで、慌てて次の天皇探しが始まった訳ですが、第25代武烈天皇からずっとさかのぼって第14代仲哀天皇の5世孫である「倭彦王(やまとひこおおきみ)」という人を見つけました。
その倭彦王(やまとひこおおきみ)に「あの、すみません、天皇になってください」と頼みに行ったら、倭彦王はビビって行方不明になってしまいました。
「こりゃやばい」とスタッフ(今でいう宮内庁の職員?)は、めちゃくちゃ焦ったと思います。
慌てて、別の候補、第16代仁徳天皇の腹違いの兄弟の孫の孫(第14代仲哀天皇から数えると5世孫)の「男大迹王(をほどのおおきみ)」を探し当てました。(後の継体天皇になる人です。)
「すみません、男大迹王さん、急で申し訳ないんですが、天皇になってください。というか、もうあなたは天皇です。」
使いの者にそう言われた男大迹王は、ひっくり返るくらいびっくりしたでしょうね。
「えぇ?まじ? 俺が天皇なの?」
多分、5回以上は聞き直したと思います。(勝手な想像です。)
やがて、男大迹王は天皇となり、この地に皇居(樟葉宮)を作って、しばらくトレーニングに励みつつ、大和の国が落ち着くのを待っていたのでは?と私は思っています。
その樟葉宮があったとされる場所。
皇位継承のことを考える時、我々の先祖は、いわゆる「女系」の天皇を選ばなかったという事実が分かるエピソードです。(以上の話には、諸説あります。)
交野天神社・樟葉宮跡の杜の位置
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