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【神社仏閣】百濟王神社(くだらおうじんじゃ) in 枚方(実家の近くの神社)

百濟王神社

最近、新型コロナウィルス対策の自粛にともなって、散歩がてら近くの神社仏閣(主に神社)巡りをするようになりました。

 

神社に行くと、その歴史などを調べるようになって、どんどん面白くなっていっております。

 

その内容を、ここブログでも、ぼちぼち紹介して行きたいと思います。

 

目次

 

 

百濟王神社 

 

うちの近所にある氏神さん百濟王神社です。

(「百済寺」という氏寺でもありました。)

 

ここは、かなり由緒ある神社なんです。
 

参考:百済王神社神社 公式サイト

百濟王神社(特別史跡 百済寺跡)公式ホームページ


ご祭神

 

本殿
百濟國王(くだらこくおう)
牛頭天王(ごずてんのう) / 進雄命(すさのおのみこと)

 

相殿社
天照皇大神
天児屋根命
大山咋命
市杵島姫命
奥津比古命、奥津比賣命、火産霊命
瘡神(くさかみ)

 

稲荷神社
白鷹稲荷大神
高倉稲荷大神

 

若宮八幡神社
品陀和気命(ほむだわけのみこと)

 

竜王山 浮島神社
高龗神(たかおかみのかみ)

 

百濟は朝鮮半島にあった「国」

百済王神社


百濟は、朝鮮半島にあった百濟王族の「国」でした。
 
一説によれば、この百濟一族が日本に「漢字」を伝えたとも言われています。

日本書紀に記述があるらしい。)
 

 

あの「白村江の戦い」が遠因? 

百濟王神社

(詳しい年表が掲げてあります。)

日本古代での最大級の危機、白村江の戦いで国を滅ぼされた百済一族は日本に命からがら逃げきて、この地を管理したのが始まりだそうです。

(一説には、先に百済は滅亡させられていたとの説もあり。)
 


朝鮮半島で、唐と新羅の連合軍にボコボコにやられて、日本にやってきて、「日本さんに助けられたわ、恩返しせな。」と色々朝廷に仕えたみたいです。(すみません、そんなに詳しくないです。間違えていたら、教えてください。)
 
時は、天智天皇の頃、「ヤベェ、このままじゃ、唐にやられるぞ!」と、当時の日本にとっては、めちゃくちゃ焦った(国難)と思います。
 
きっと、百済さんは、「わしもお世話になったから、色々手伝わせてください。漢字って情報伝達に便利やし、朝鮮半島のことは詳しいから、わしらスパイに行きまっさ!」みたいな感じで、協力したのではないかな?(ココは私の勝手な妄想です。)
 
その功績が認められて、河内の地に百済寺を建てることになったのでは・・・と。

 

天智天皇藤原氏・藤という私の家系

 
しかも、あの天智天皇の時代ですからね。
 
天智天皇といえば、藤原氏に関係が深い。
 
藤原氏といえば、私の苗字の「藤」ですからね。多分関係あるはず・・・(笑)
 
そんなこと考えていると、この丘から望む眺めも、また違う趣を感じ取れるのです。

 

百濟王神社

百濟王神社

百濟王神社

百濟王神社

百濟王神社

百濟王神社

百濟王神社

百済寺跡(昔、大きな寺院があったようです。)

 

百濟王神社の位置

京阪宮之阪駅から徒歩で行ける距離です。

 

imakokowoikiru.hatenablog.com

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