最先端の映画やアニメの業界では、「ローカライズ」(地域に合うように加工)して海外にコンテンツ(作品)を販売するような流れになっているとのことです。
例えば、日本の作品をアメリカに販売したいのなら、登場人物の名前をアメリカ人風に変えるとか、町並みや小道具などをアメリカ風に変えるなどの加工をして、その地域の人が違和感を持たないようにするということを「ローカライズ」と言います。
この分野で一番進んでいるのが、韓国のメディア産業だそうで、作品を作る段階から、この「ローカライズ」を念頭に置いていて、物語の結末までをその地域に合わせて変えてしまうような極端な例もあるとのこと。
つまり、複数の結論になる地域ごとの作品が存在するということです。
文化圏に合わせて、ローカライズという調整することは必要かと思いますが、制作サイドは大変でしょうね。
違う結末を想定して作品を仕上げるとなると、なかなか作品の本質部分、その作品のテーマの追求に集中できなくなるのでは?と思ってしまいます。
時代の流れが、そういう方向に進んでいるので致し方ないとは思いますが、日本のコンテンツ産業は今後どうなるのでしょうか。
現状アニメの分野では、日本のアニメは世界トップクラスであると言われてますが、他の国のレベルも日に日に上がってきています。
その上、作品のローカライズという流れは止められないので、どの国の作品なのか、という点については、境界が無くなっていくでしょう。
例えば、インドの人がアニメを見る時、インド人の風貌でインド人受けする結末になっていて、これがアメリカのアニメなのか、日本のアニメなのか、韓国のアニメなのか?全く意識することなく見る時代が来るでしょう。
そうなると、「あ、日本って面白そうだね。」「日本に行ってみたい」「日本の文化が好き」というファンが作られにくくなるでしょう。
しかし、結局、最後はコンテンツ。
伝えたいこと、テーマやストーリーが人々の心を魅了するものです。
もちろん、映像が綺麗とか、音楽が素晴らしいという点も重要ですが、作品を見て感動するのは、人類が持つ普遍的なテーマやコンテンツ自身が持つエネルギーといったものです。
その点、日本には古事記を初めとする神話があり、各地の言い伝え、伝承が残っている上に、手塚治虫先生をはじめとする先人が残した数多くの財産、文化が継承されています。
これらは素晴らしいコンテンツの源であり続けることでしょう。
いつの時代も感動できる作品というのは、「ローカライズ」に頼らなくても感動できます。
「鬼滅の刃」をローカライズするが為に、ガンファイトの設定に変える必要はないってことなんです。
その事実を分かっていれば、恐れる必要はありません。
ただ、先人から受け継いできた歴史や文化を大切にせず、次の世代に受け継いで行こうという精神がないのであれば、我々の未来は明るいとは言えないのかも知れません。
今回の珍言爆言
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受け継いでいる歴史と文化の厚みに感謝しよう。
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