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【コラム】取り柄があってもなくても、死ぬまで努力すべき本当の理由

取り柄があってもなくても、死ぬまで努力すべき本当の理由

先日のトピックで、「取り柄がなくても良い」という話をしました。

 

imakokowoikiru.hatenablog.com

 

 

 

「取り柄」というのは「絶対的」なものではなくて、「相対的」な価値判断なので、都合よく解釈すれば良いんです、といった内容です。

 

 

今回は、その話の補足。

 

 

というのも、「取り柄がなくても良い」=「今の自分のままで良い」=「努力も成長もする必要がない」と間違って解釈してしまう人がいたからです。

 

 

日々自分の成長を図り、努力を楽しんでいる人にとっては、心配ご無用なのですが、陥りやすい思考パターンなので、今回は補足させて頂きます。

 

 

取り柄があってもなくても、死ぬまで努力すべき本当の理由

少し考えてみれば分かるのですが、たとえ世界一の記録保持者で、その記録が自慢できる「取り柄」であっても、その人は当然ながら日々努力し続けています。

 

 

二位以下の人は追いかけてくるのもありますし、自分自身さらなる高みを目指しているからでもあるでしょう。

 

 

常に世の中は競争にさらされています。生存競争というものです。

 

 

それでは、世界一の記録どころか、何の記録も持っていない凡人は、どうすれば考えれば良いのか?

 

 

取り柄がない、自慢できるものは何もない、と落ち込むべきなのか?

 

 

生存競争に勝ち残れないと、嘆いて落ち込むべきなのか?

 

 

いや、そんなことで落ち込む必要はない!というのが前回の内容なのです。

 

 

そんなものは、頓智を効かせて、やり過ごせば良いんですよ。

 

 

実は、人間というのは不思議な動物で、全員で一つの種(人間種)を構成しているような側面があります。

 

 

みんながみんなで「他人のため」に生きている面があるんですね。

 

 

何も社会に貢献していない、他人のために役に立っていないと感じるかも知れませんが、それこそ下世話な表現をすると「生きているだけで誰かの役に立っている」んです。

 

 

そういう意味で、取り柄がなくても、世界一の記録を持っていなくても、何の問題もないという事なのです。

 

 

しかし、一方、努力をしながら、生きることを諦めず、それぞれの高みを目指すことは、続けないといけません。

 

 

むしろ、「取り柄」なんて、相対的な価値観だからこそ、逆に競争原理というものが発生し、常に努力する必要があると言えるでしょう。

 

 

絶対的に唯一の価値観のみが、生存を決定づけるのであれば、二位以下は全員死ぬしかないのですから。

 

 

自分が、どういう状態にあっても、努力し切磋琢磨し、自分を成長させることに終わりはありません。

 

 

はい、そうです。

 

 

この重要性に気づいた人は、「取り柄」なんてモノサシにこだわる必要はなく、自分の人生を生きていけば良いということを体得できた人なのですよね。

 

取り柄があってもなくても、死ぬまで努力すべき本当の理由

 

今回の珍言爆言

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死ぬまで努力するという取り柄が最強

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imakokowoikiru.hatenablog.com

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