とある方から、お悩みのご相談を頂きました。
その方は、根が正直なようで、嘘がつけない性格とのこと。
知人友人と話をすると、ついつい「正論」を言ってしまい、知らぬ間に知人や友人が離れて行ってしまうというお悩みでした。
さて、人というは不思議なもので、嘘はつかれたくない、正直な人の方が良いと言うのですが、「正論」を面と向かって言われると傷つくもの。
私のアドバイスとしては、「近しい関係の人は、正しい答えを求めているのではなくて、自分を認めて欲しいだけなので、その人が気持ちいいと思うであろうことを伝えましょう」というものでした。
結局ですね、人というのは、話をする時は、相談にしても、愚痴にしても、報告にしても、「共感してほしい」だけですからね。
多くの人は、ぶっちゃけ「正論」が知りたい訳ではなくて、「感情」を認めて欲しいだけということです。
まぁそれは、プライベートな関係、近い関係の人とのコミュニケーション上での話。
不特定多数の人に何かを伝えようとする時は、少なくても自分が正しいと思っていることを伝えないといけないと思います。
近頃の日本のニュースや報道を見ていて、そんな風に感じております。
しかも、その「正しさ」という基準も絶対的なものではなく、様々な条件下で変化していくものと理解した上での話です。
例えば、「科学では、これは現状こういう基準になっている」とか「現在の法体制では、こういう基準になっている」とか、話を聞いている人も理解しやすいでしょう。
けど、日本のニュースや報道の多く、コメンテーターと呼ばれる人は、視聴率のためなのか知りませんが、視聴者が聞いていて気持ちいいこと、つまり根拠のある基準や論拠ではなく、感情に訴えるばかりに見えます。
中には、素晴らしいコメントをする人もいますけど、そういう方は、二度とその番組に出演されないことが多いですね。(どうしてなのかな?)
残念ながら、我々は「正しく考える」ことの訓練を受けてこなかったのも原因なのでしょう。
そんなことを考えていると、日本全体が、な~んか、情緒で流されているのではないか?と心配になってくるんです。
確かに、気持ち良く感じる言葉、情緒に訴える言葉というのは、一服の清涼剤みたいなもの。
なんかストレス溜まって、気分転換したいなぁと思う時に、ガムを噛んだり、コーヒーを飲んだり、タバコを吸ったりするように、「気持ちのいい言葉」を味わうのも良いでしょう。
けど、気分転換というのは、所詮、気分転換です。
清涼剤だけを摂取していても、本当の健康にはならないし、パワーも出てきません。
たまには毒ある正論を噛み砕いて、自分の考えにする努力も必要なんです。
本質を追求すること、深く考えて決断することが、個人的にも、社会全体にも必要なんですね。
支離滅裂な話を無理矢理まとめて、今回お伝えしたかったこと。
- 個人間では、気持ちの良い言葉でコミュニケーションする。
- 社会全体を良くするために、個人でも深く考え、それぞれ「正論」を持っておく。
今回の珍言爆言
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正しい基準を日々、自分の中で切磋琢磨しよう!
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