江戸時代に運搬船が遭難しロシアに漂着、その後ロシアで暮らし10年後に日本に帰ってきた船乗り大黒屋光太夫の記録です。
天明二(1782)年12月,駿河沖で遭難した回米船の乗組員たちは、7ヶ月をかけ漂流しロシアとアラスカの間のアムチトカ島に漂着し、その後約10年をロシアで過ごし、その後メンバーのうち3人が日本に帰ってきた。
その主要メンバーである大黒屋光太夫から聴取した聞書がこの記録で、当時のロシア帝国の風俗・制度・言語等を克明に書き残しています。
しかし、よく生き延びて、日本に帰ってきましたね。
乗組員の多くは、漂民中に亡くなり、二人はロシア帝国に残ることを決め、最終的に3人が日本に帰ってきたのですが、うち一人は根室に到着してすぐ亡くなったそうです。
当時は鎖国政策が取られており、外国に行くのはご法度だったのですが、それでも生き延びて帰国し、幕府に情報を伝える、その気概はすごいとしか言いようがありません。
しかも、記録としても明確な情報で、後々の研究に役立ったはずです。
それが学者でなく普通の船員だった人というのも驚愕する事実ですね。
当時の日本人の民度の高さが感じとられる第1級の資料です。
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