いつもながら中国に帰ってきて、ネット規制にうんざりしながら考えました。
(中国では、Facebook、Line、Google、You Tubeなど
普通では使えないものがたくさんあります。)
人間って他人との関わり合いがあるから「生きている」ですね。
逆に言えば、生物として生きていても、社会的な「人間」として生きてなかったら、
「生きて」いないことと同義なのです。
ひょっとしたら、いつの日か、「一生ネットにアクセスできない」
という刑罰ができるかもしれませんね。
「あなたは●●の罪で、一生ネットにアクセスできません。」と求刑されたら?
ネットで買い物もできないし、メールやメッセージで誰とも連絡が取れない!
それよりも、うぉぉぉぉ!エロサイトが見れない!
(そっちかい?)
ある意味、独房に入るのと同じ、昔で言う「村八分」と同じです。
ネットに依存する割合が多い現代社会では、実際の社会でのコミュニケーション能力の低下も問題ですが、ネットでの繋がりができないと死活問題になるでしょう。
情報を収集するのも、情報を交換するのも、ネットでの割合が増えていますよね。
もし、一生ネットが使えなくなったら?
今の生活スタイルは維持できないのではないでしょうか?
今回は、刑罰という形で、少し極端な表現をしましたが、振り返ってみたら、
ネットでしか繋がっていない人も多いかと思います。
メールアドレスや電話番号はもちろん、本名も知らない人と付き合っていることが多い。
もし、何かトラブルがあって、ネットが繋がらなくなったら?
(大きな災害があった時なども含めて、リスク回避が必要です。)
そういう人と一生連絡が取れなくなるかも知れません。
本当に繋がっていないといけない人とは、ネット上だけではなく、別の連絡手段も確認しておきましょう。
そして、将来「一生ネットが使えない刑」ができないように、表現の自由を守り抜かないといけません。
そんなことを中国のネット規制下で考えてしましました。
社会的な人間の営みって、何なのだろうってね!
今回の珍言爆言
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繋がっているから人は生きている
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