
キリスト教の伝道師としてアマゾン奥地に住むピダハンの村に赴任した筆者が、彼らの文化・言語を調査した科学ノンフィクション。
ピダハンの文化には右/左の概念、数や時間の概念、赤ちゃん言葉、色の名前、神の概念、創世神話が存在しない。
彼らの生活に接していくうちに、「キリスト教」という西欧的な普遍的な”幻想”では決して到達できない幸福に目覚め、自身も「キリスト教」を捨ててしまう。
言葉、そして概念は、人間社会を高度なシステムへ導いたけど、決して人々を幸福にする必須条件ではないのでは?と思えてきました。
文法的には関係節(詞)がないらしく「パイダー、針を持ってきてくれ。ダンがその針を買った。同じ針だ。」という表現で関係を表現するとのこと。
単文で表現するだけで、物事は表現できるんです!
また、警察や裁判という公的な強制力がないピダハンの社会では、「村八分(追放)」と「精霊」が強制となる。
彼らは自分たちが知らないことは心配しないし、心配できるとも考えず、また未知のことをすべて知り得るとも思わない。
本当の意味で「今を生きる」というのは、ピダハンにしか出来ないのかも知れませんね。
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