以前にも何度か書きましたが、私は年老いたら、「クソジジイ」になりたいんですよね。(なんだ?いきなり)
この場合の「クソジジイ」というのは、周りに流されず自立した「大人」の”洒落た”おじさん(おじいさん)という意味です。
と言うのも、昨今問題となっている高齢者の自動車免許の返納「運動」について、「返納」を支持する方からご意見を頂き、色々考えさせられたからです。
当然、私は、高齢者になっても自動車免許は返納致しません。
むしろ、60歳になったら、自動二輪の免許を取って、ツーリングを趣味にしたいと思っているくらいです。(70歳までに、キャンピングカーで世界一周したいです。)
もし、自分の反射神経が鈍くなり、運転は難しいと感じても、免許の返納はしません。
もちろん、その時の状況を考えて、運転を自粛したり、あるいは、運転をしなくてすむ環境に変えることはあると思います。(その時は、自動運転が普及していれば、さらに良いですけど)
高齢者の立場から言えば、「わしの権利(自由)を奪わんとってくれ!」と言うことですよ。
法律で禁止されていることならまだしも、「免許」という法律に則って得た権利なのですから、他人にとやかく言われて返納するつもりはありません。
「おじいちゃん、運転は危険だから、免許返納してよ」とか「もし事故を起こして人を傷つけてしまったら、後悔するでしょう!」とか言われても「うるさいわ、それくらい理解しているわ」ってことですよね。
だから、あえて「”クソジジイ王”に俺はなる!」と言いたいんです。
まさか、ご家族にご高齢の方がいらっしゃる場合、「おじいちゃん、それ危険だからやめてよ」とか「おばあちゃん、そんなことをして怪我したり、させたりしたらどうするの?」とか言ってないでしょうね?
高齢の方のためを思って、こういうことを言ってるのだと思いますが、高齢者の側からしたら、「お前は役立たずだから、早く死んでくれ!」「何か事故でも起こしたら、大変で困るのは家族だよ」としか聞こえないのではないか?と思うんですよね。
もし、私が高齢者で言われるとしたら「公道での運転は危険があるので、全自動ナビゲーション付きの自動車をプレゼントするからこれを使ってね」とか、「それでもドライブを楽しみたいのであれば、鈴鹿サーキット1日貸切チケットをあげるんで、ここで運転してね」と言って欲しい。
この段階で、もう十分、”クソジジイ王”になっているって???スミマセン。
けど、家族、特に子供や孫から反対される高齢者って、辛いだろうな。
私みたいに、”クソジジイ”度が高ければ、「何、くそ!反抗してやる!」と言えるでしょうけど、普通、受け入れることも多いでしょうから。
これからは人生100年時代と言われます。
仕事を辞めてから、30年以上を「何かをして」過ごさないといけない訳です。
どうすれば、死ぬまで質の高い生活をして行くことができるのか?
今からで考えて行くことが、日本の将来をよくして行くことではないでしょうか?
もちろん、私が高齢者になった時は、「かっこいい」&「(他人の意見を聞く)素直」な”クソジジイ”になりますよ。
頑固で聞き分けのない”クソジジイ”って、若い女性にモテなさそうですからね!
今回の珍言爆言
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誰もが高齢者になるのに、誰もどう生きるか考えてない。
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