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【コラム】違いを認める自由が結局正しいという自由

違いを認める自由が結局正しいという自由

イスラム教の習慣のことについて、お伝えした時に「やっぱり日本の方が自由でいい」というご意見を頂きました。

 

 

 

それぞれの宗教には、してはいけないこと(戒律)があります。

 

 

 

日本の「常識」から考えたら、少し窮屈に感じるルールもあるのは事実です。

 

 

 

「これはしてはいけない」とか「これはしなさい」という制約とかルールは少ない方が、「自由度」を感じるのは自然なことです。

 

 

 

しかし、この点について、少し違和感を感じたので、もう少し深く考えてみました。

 

 

 

私たち日本人が普通に生活している中で、「私たちは本当に自由に生きているのか?」ってことについてです。

 

 

 

結論から言うと、私たちが許容できる「常識」の範囲内での「自由」しか、感じられないというのが事実なのでしょう。

 

 

 

所詮、その社会の「常識」は、宗教も文化もひっくるめて、その場所に「たまたま」生まれたから、その「常識」の中で生きている訳です。

 

 

 

もし、あなたが、イスラム教が信じられている場所で生まれていたとしたら、恐らくあなたもイスラム教の「常識」の中で生きているはずです。

 

 

 

私は大阪出身なので、プロ野球にそれほど興味はないですけど、それでもやっぱり阪神タイガースがひいきの球団です。

 

 

 

たまたま生まれた所の「影響」って、知らず知らず受けているってことです。

 

 

違いを認める自由が結局正しいという自由

 

ある人は、自分が生まれた所の「常識」が正しいと信じていて、それが当たり前と何の疑いもなく生きています。

 

 

 

そして、その「常識」内の「自由」を満喫している訳です。

 

 

 

もし、何らかの機会があって、海外で生活するチャンスがあったとしても、自分の「常識」との「違い」は感じるかも知れません。

 

 

 

けど、その「違い」の良さや悪さを評価しているのは、これまた自分の「常識」ですよね。

 

 

 

つまり、「常識」「文化」というのは、絶対的なものはなく、自分が従っている不自由な「常識」と比べて、自分勝手に言っているだけってことです。

 

 

 

結局、自分と違う「文化」や「考え方」が正しいと思うこと自体、あんまり意味のないことなのかも知れません。

 

 

 

そんな風にみんなが考えられたら、「くだらない争いは、もっと減るのかも知れないなぁ」と思いませんか?

 

違いを認める自由が結局正しいという自由

 

今回の珍言爆言

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

あなたの自由は、何に対してなのでしょうか?

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 

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