今回は、私の尊敬している手塚治虫さんの話です。
宝島社の「このマンガがすごい!」2012年のオトコ編で、第一位をとった「ブラック・ジャック創作秘話」というマンガを読みました。
手塚治虫先生が自身の会社を倒産させてしまい、漫画もスランプ状態に陥った後に、「ブラック・ジャック」という作品を発表し、復活を遂げた頃の話を書いたものです。
手塚治虫先生のエピソードが、当時の関係者のインタビューを元に描かれています。
一番、驚いたというか、笑ってしまったのが、原稿を上げずにアメリカ旅行に行ってしまった話です。
前倒しで出発前に書き上げるという編集者との約束も果たせず、別の原稿は搭乗手続きギリギリで書き上げたけど、結局ブラック・ジャックの原稿は上らず、そのまま出発してしまいました。
帰国予定日が、原稿の最終校了日なので、編集者は、悲壮な表情。
そして、人物だけを入れた原稿を送るという約束も間に合わず、関係者はただどうしようもない状態になっていました。
いよいよ、もう間に合わないと、あきらめかけた瞬間、手塚先生が国際電話でアシスタントに口頭で指示をして、背景の原稿を仕上げるという作戦に!
(当時、インターネットはおろかFAXもない時代でした。)
アシスタントに方眼用紙を用意させ、マス目の指示をしながら、枠線を書かせて、コマ割り原稿を作らせました。
その日はそれだけ!
そして翌朝、手塚先生から電話があり、過去の自分の作品の中から、ページとコマ数を指示して、そこにある背景をアシスタントに描かせていきました。
何十コマもある背景を、次から次へと指示していく手塚先生。
その手塚先生の手元には、全く資料はなく、全て自分の記憶から呼び出して指示をしていくのです。
(原稿を督促にアメリカまで行っていた別の編集者の証言による)
こうして背景をアシスタントに用意させ、自分は帰りの飛行機の中で必死の形相で人物の原稿を書き上げる。
空港の到着ゲートから出た途端ホテルへ急行し、別々に描いた背景と人物の原稿を切り合わせて、仕上げたのです。
とにかく凄まじいエピソードです。
他にも、原稿の出来がいまいちだとのアシスタントの感想で、せっかく出来上がった原稿を没収し、もう一度やりなおす話とかが紹介されています。
とことん、読者のため、面白い作品を描く根性というか、気合いが伝わってきて、めちゃくちゃ刺激になりました。
(締め切りは何としても守るという根性も!)
なんか、こんなに必死になって何か(漫画という仕事)に没頭しているチーム手塚治虫が、羨ましいですね。
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