先日観たあるネット番組の内容なのですが、新成人と中年以上のコメンテーター(評論家・ジャーナリストなど)が、「今の成人は何を考えているか?」というテーマで議論するものでした。
よくある「最近の若い者は何考えているのか・・・・」ってやつですね。
私個人的には、この論争って、ほとんど意味のないものだと思っています。
なぜなら、いつの時代でも「最近の若い者の考えていること」と、「おじさん・おばさんの考えていること」には、必ずギャップがあるからです。(私が「若い者」の時も年長者から指摘されてましたし・・・)
だから、最近の若い者の考えていることを、中年目線で論評しても、正しく時代を映し出すのは不可能だと思うんですよね。
まぁ、私が考える原則はともかくとして、そのテレビ番組の中で、ある中年の女性が、若い世代を「彼らは、足るを知っている」と評していたんです。
ここに私は、かなり引っかかりを感じました。
「足るを知る」 これは私も好きな考え方ですし、良い言葉だと思います。
小学館のデジタル大辞泉によると、「足るを知る」とは、「身分相応に満足することを知る。」こと、三省堂の大辞林第三版によると、「身の程をわきまえて、むやみに不満を持たない。」となっています。
この意味を踏まえ、もう少し解釈を深めていくと、「自分は完璧でないと認め命あること自体に感謝できれば、充足した生き方ができる」ということだと、私は理解しています。
天才バカボンが言う「これでいいのだ!」にも通じる考え方と言えるのではないでしょうか?
しかし、ここで大事なのは、「これでいいのだ!」と達観するまでのプロセスです。
七転八倒、人生をもがき苦しみながら、色々チャレンジをして到達した境地で、「あぁ、これでもなお私には、出来ないことがたくさんあるんだ。」と足ることを知ったのか?
それとも、「あぁ、これは私には出来ないな」とはじめから何もしないで、諦めてしまっているのか? その「諦め」自体を「足るを知る」と勘違いしているのか?
これがとても大切な違いなんですね。
だから、たかが五十年も生きていない中年のおじさん・おばさんが、さらにもっと若い二十歳そこそこの若者を「彼らは、足るを知っている」とレッテル貼り出来るのか?ってことですわ。
私から言わせたら、言葉の意味も理解できてないし、使い方も間違えてるわ!っていう違和感ですね。
ということで、今回は、ぼやきながら提案。
「足るを知る」って、死ぬほど努力して、「あぁ、ここまで突き詰めてきたけど、まだまだやり切れないことってたくさんあるんだ」と、気づけるかどうか?
選ばれた職人が達することのできるかどうかの境地ということです。
決して、中途半端な今の自分自身に、生半可な満足に浸ることではないということです。
今回の珍言爆言
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足るを知るために、チャレンジしきれてないことに気付こう
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