「あなたは常識ありますか?」と面と向かって聞かれたら、「何言ってるねん、常識くらい持っているわ」と反論するでしょう。
しかし、そもそも「常識」というのは、誰と誰の共通認識なのでしょうかね?
「それは、私とあなたの共通認識だ」と反論されるかも知れません。
しかし、「私」と「あなた」では、考え方も育った環境も違うので、おおよそ似ている共通認識はあるのかも知れませんが、おそらく違う部分も多いはずです。
今回は、そんな感じの話です。
(哲学の話か・・・ブルブル怖い・・・いやいや、もっと軽~い話ですよ。うふっ!)
とか何とか言ってますが、実は言うと、「常識」で凝り固まった頭をお持ちの方には、話が通じないでしょうし、「常識」がないと理解している方には、釈迦に説法、話すだけ無駄な話なのでしょうね。(あらら・・・)
まぁ、けど、いいんです。
誰かの悩みに少しでもお役に立てれば、・・・・(そう、そこのアナタのお悩みを解決できれば!)
何か学ぶことで大切なこというのは、「知らないことを知ること」と「知っていることを疑うこと」です。
「知らないことを知る」というのは、知識や体験をすれば、気づけますし、知ることができます。
まず「知らないこと」さえ、実は認識できていない(知らない)ということを理解した上で、学ぶことですね。
これはプラスの活動ですから、行動すればするほど、経験値が上がっていくように、深く理解できていきます。
はい、これはこれで大事なことです。
しかし、「知っていることを疑うこと」というのは、案外簡単なようで、これは非常に難しい。
もうすでに知ってしまったことを、「これ本当なのか?」「本当に正しいのか?」「人類のためになるのか?」と振り返ることを、自然に体得できる人は、ごく少数派なのではないでしょうか?
例えば、普段の情報というのは、新聞・テレビ・ラジオなどのマスコミからや、インターネットや本や雑誌などからが多いと思います。
そこで仕入れた情報を、「これは、本当に正しいのか?」と再検証している人は、専門家を除けば、ほとんどいないでしょうね。
「マスコミで取り扱った情報」が、それだけで正しいと思い込むんでしまっている。
忙しい日々を送ってますから、そこまで検証している時間もない。
ま、少し冷静になれば、言わなくても理解できると思いますが、マスコミもインターネット上の情報も、ある側面からの捉え方であって、「絶対的な真理」ではありません。
しかし、いつしか、これらの情報が、特にインパクトが強い場合は、一度伝播されると、例え真実とは異なる内容でも「常識」になってしまうケースがあります。
フェイクニュースでも「正しい情報」として取り扱われることもあるんです。
一度「常識」になってしまったら、後から修正することは、ほぼ不可能です。
怖いですよね。
このような拡散で、被害に遭われた方も少なからずいらっしゃるのは、心が痛むことです。
さて、一体どうすれば、「知っていることを疑うこと」ができるようになるのでしょうか?
超簡単に言えば、「悟る」ことができれば、知っていることを疑えるようになれるのですけど、まぁ、普通では無理です。
ちょっと逆説的な別の方法なのですが「知らないことを知ること」を、ものすごく多くすることが大事なんです。
反対意見も調べてみる。
できるだけ素直な心の状態で調べてみる。
とてつもなく大量の情報をインプットすることで、「知ってしまったこと」について、「あれ、これ、何か違うんじゃない」と疑うことから始めないといけません。
そして、現時点で「正しい」とされていることは、時代が変われば、正しくないことになることもあるのです。
それでは、「え?私の常識って何?」ってことですよね。
はい、はっきり申しますと、そんなものは、どうでもいいくらい小さいことなんです。(やっぱりそうか!チーン!)
今回の珍言爆言
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常識なんてないと知っている常識人になろう
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