この時期になると、テレビやその他のメディアで、「戦争」のことを扱いますよね。
古くからの私のメルマガなどの読者の方には、何回かお伝えしましたが、最近の読者さんには伝わっていないかと思いますので、あらためてお伝えしたいと思います。
(あえて、この時期にこのトピックを扱うリスクはあるんですけど・・・)
「平和」の対義語は?
「混沌」ですね。
「戦争」の対義語は?
「交渉・折衝」ですね。
もし、「戦争」という交渉方法が、国家間で使えないとしたら?
いや、質問を変えましょう!
「戦争」という交渉術を必要としない世界秩序って、どんなシステムなんだろう?
未だ人類は、そういう段階になっていませんが、現行の金融資本主義が、次のステップに上がれるとするのであれば、出来るんじゃないかなぁ、と期待しています。
その為には、その権利を獲得するための「戦い」が必要なのかも知れませんが・・・・。
さて、大東亜戦争(第二次世界大戦)で、我々日本人が学んだこと。
悲惨な戦争体験を伝えること?
それもあるでしょう。
それだけでは、センチメンタルな反戦を訴えるだけにならないか?
この時期のメディアのあり方を見ていて、そう感じます。
我々日本人が学ぶべきことは、
「日本の歴史と文化を学ぶ」
ことではないでしょうか?
「なぜ日本は、負けるであろう戦争に引き釣り出されたのか?」
このことは、もっと考えないといけないのでないでしょうか?
そして、それを今後の社会に役立てないといけない。
それが、我々の先輩が、今生きている我々に伝えようとしたこと。
日本の未来、そして世界の未来は、我々の「もっと考える力」にかかっていると思うのです。
今回の珍言爆言
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もっと考える力を、獲得するために戦えますか?
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