数多くの宗教や昔の偉人は、みんな口を揃えて「他人のために生きなさい(利他主義)」の重要性を問いつつ、同時に「自分というのを大切にしなさい」と説きます。
「果たして、一体どっちなんだ?」と私も昔から思って訳なんですよ。
ある時は、他人のためと「自分を犠牲」にして尽くしてみたけど、結果ボロボロになり・・・またある時は、「自分を大切」にと、他人を蹴落とし自分のことだけを考えて生きていくうちに、大切な人を多く失ったり・・・。
やっぱり何でも極端な行為がいかんと、バランス重視にやってみたら、バランスどころか、どっちつかずのバラバラで残念なやつになってしまったりと、たくさんの失敗を積み重ねてきました。
こんなトンチンカンな奴ですが、やっと最近、「自分を大切」にしながら、「他人のため」に生きる意味がわかってきたんですね。
その秘訣はというと・・・・。
「他人のため」とか「自分を大切に」とか考えて行動している間は、何も理解できていないことに気づいた!!
ってことなんです。
「他人のため」「他人のため」と考えて行動するのは、自分だけが得したいと心の何処かで欲を張って生きている証拠。
「自分を大切に」と考えて行動しているのも、自分だけは損したくないと心の何処かで欲を張って生きている証拠。
結局、どちらの場合も、まだ「我」という意識というか、心の中に隙間があるんですよね。
この隙間の面積がある状態を、点まで焦点を絞るというか、無くすというか、逆に「我」以外の全てを感じ取れるようになれば、「他人のため」とか「自分を大切に」とか考えなくても、自分を大切にしながら、他人のために生きられることに気づいたんです。
う~ん、これをトンチンカンな私が「我」なしで説明するのは難しい。
詳しくは、「数多くの宗教や昔の偉人」から学んでください!
え?また振り出しに戻るってか?
結局、そんなことを悩んでいる状態というのは、本当に悩みには到達していないってことなんです。
だから、またスタートに戻って、学び続けるしかないんですね。
その繰り返しで、だんだん「我」を無くして、自分を点という面積にない状態に持っていく。
(本当の)「点」には、物理的な面積はないでしょう?と言っても、何も無い訳では無い状態ですし・・・。
あ、これって、一種の「悟り」みたいなもの?
う~ん、また振り出しに戻って、数多くの宗教や昔の偉人から学び直さないといけないですかね。
ぐるぐるぐる、ぐーるぐる!っとな。
今回の珍言爆言
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
大切なのはバランスではなく、表も裏も両立すること
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imakokowoikiru.hatenablog.com
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